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「人間五十年、化天(下天)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬ者の有るべきか。」 (幸若の舞の一節「敦盛」より)
戦国武将 織田信長が好んだ曲舞で、第三幕からなる幸若舞の敦盛の二段目からを引用されたものです。
『敦盛(あつもり)』
さるほどに、熊谷は経盛の返状をよくよく見てあれば、菩提の心ぞ起こりける。
今月十六日に讃岐八島を攻めらるべしと聞いてあり、我も人も憂き世にながらえて、かかる物憂き目にも、また直実やあはずらめ。
思えば、此の世は常の住みかにあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほはやし。
金谷に花を詠し、栄花は先立って無常の風に誘わるる。南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立つて有為の雲に隠れり。
人間五十年、化天(下天)のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ者の有るべきか。是を菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思い定め・・・
と、曲舞はかなりの長さですが、これでも二段目からすればほんの一部分です。
さて、縄文や弥生時代はともかくとして、人の寿命は果たして延びているのでしょうか・・・ とくにデータが残されている訳ではありませんが、戦国時代から現代に至るまで、人の寿命は思うほど延びている訳でもなさそうです。
たとえば、織田信長によって「人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり…」と幸若舞が舞われた時代は、何しろ、盲腸でも大半の人は死んだのですから、当時の新生児の死亡率や結核、その他の疾病の治癒率などを考えれば、五十年は決して短い人生とはいえません。
ある説によると、人の寿命は本来120年あるのだそうです。ただし、気候が穏やかでウイルスにも感染せず、理想的な食事をして、ストレスを感じることもなく、有害な化学物質にも触れないなど、リスクが一切排除された環境下ならという条件つきですが・・・
昔も今も、ストレスを感じることなく過ごすなんて夢のまた夢。ほぼ皆無に等しいに違いありません。
医療が発達した現代に置き換えても、「人間五十年・・・」は人の人生に当てはまる様な気がします。何故なら、今の世の中は近代医療と福祉によって単に生かされているだけの様な気がするからです。誕生し、物心つくまで無邪気に人に甘えていられた幼年期、親に反発する少年期、毎日の日課が病院通いで物忘れが酷くなり、次第に脳細胞が死滅していく晩年の十数年を差し引くと、やはり人間五十年というのは現実味を帯びてきます。
特別養護老人施設で介護を受け、病院のICUで機械的に無為に生かされている時間を、果たして”人生”というべきなのか、私は時々疑問に感じています。健康で、社会や地域の一員として、何らかの貢献をしつつ、有意義に生きられる時間は哀しいかな五十年余り・・・
一度きりしかない貴重な五十年だからこそ一日も無駄にしてはならないと、先人たちが私たちに伝えてくれているような気がします。
人生の最期を迎える日まで、一日でも長く自由を謳歌し、ほんの少しでも誰かの役に立つ人間でいたい・・・ 私自身が「ライフスイッチ」や「ニンチノン」に期待することは、いつか訪れる”天命”の日まで、社会と関わりを持ち続けられる身体でいるということです。
最高執行責任統括者 社長 小川哲司
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夢は、創造し、形に変えてこそ手に入れることができます。価値観は異なっても、誰もが理想や夢を持っています。
けれども、人の命には限りがあります。つまり、夢を追う時間は限られているのです。一人ひとりの人生が、かけがえのないものだからこそ、一人でも多くの人に、夢を実現する創造力を身につけて欲しいのです。
私は、そんな手助けができれば、大変幸せに思います。