夢見る力を創造力に変えて・・・
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岐阜県白川郷から、飛騨古川方面との境に標高1,400mほどの天生峠(あもうとうげ)があります。この辺りには、室町後期から安土桃山にかけて金山開発で栄えた戦国武将内ヶ島氏と、その居城の帰雲城にまつわる黄金伝説が残されています。
安土桃山時代、願泉寺住職道喜が記した『貝塚御座所日記』によれば、天正十三年七月五日、未刻、大地震。天正十三年十一月十一日、夜九ツ半地震。此の頃、光るもの見たる者多し。廿九日夜四ツ半過ぎ大地震十余日止まず。京都三十三間堂の六百体の仏像全て倒る。飛州の帰雲と云う在所内島と云う奉公衆ある所也。地震に山をゆり崩し、山河多く塞かれて内島の在所へ大洪水はせ入り、内島一類下人に至る迄残らず死たる也。他国へ行きたる四人残りて、泣く泣く在所へ帰りたる由。彼の在所はことごとく渕になりたる也。 (~要約~)とあります。
帰雲城(かえりくもじょう)は、現在の岐阜県大野郡白川村保木脇地区辺りにあったと推定されています。帰雲城は寛正年間に内ヶ島為氏により築城されましたが、天正13年(1586)に発生した天正の大地震によって帰雲山が大崩落し、内ヶ島一族は一瞬にして城と共に埋没してしまい滅亡しました。このとき、埋まったとされる埋蔵金伝説が、今もなおこの地方で語り継がれています。
道喜が記した『貝塚御座所日記』のほかに、『越中国名跡志』にも同様の記述が見られ、保木脇地区には帰雲城址の碑が残されていますが、碑の場所が城跡を指す確証はなく、安土桃山の乱世にあっては資料も少ないため、帰雲城のあった正確な位置は今も歴史の謎に包まれたままとなっています。
内ヶ島氏は、応仁の乱の後に白川郷に入り、120年の繁栄ののちに地震と共に跡形もなく消え去りました。謎の戦国大名内ヶ島氏は、一説には楠正成の末裔とも鎌倉幕府に功績のあった板東武者の一族だともいわれています。
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人は、生まれた瞬間から夢を見て、理想を抱いて人生を歩みます。言い換えれば、人は夢を見る力があるからこそ、明日に希望を繋いで生き、人生を歩み続けられるのかも知れません。
夢は、創造し、形に変えてこそ手に入れることができます。価値観は異なっても、誰もが理想や夢を持っています。
けれども、人の命には限りがあります。つまり、夢を追う時間は限られているのです。一人ひとりの人生が、かけがえのないものだからこそ、一人でも多くの人に、夢を実現する創造力を身につけて欲しいのです。
私は、そんな手助けができれば、大変幸せに思います。
夢は、創造し、形に変えてこそ手に入れることができます。価値観は異なっても、誰もが理想や夢を持っています。
けれども、人の命には限りがあります。つまり、夢を追う時間は限られているのです。一人ひとりの人生が、かけがえのないものだからこそ、一人でも多くの人に、夢を実現する創造力を身につけて欲しいのです。
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